読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

レインボーフラッグは誰のもの

LGBT セクシュアリティ ジェンダー系の話題

野間さんの “なぜロリコンは セクシャル・マイノリティ ではないか?” がダメな10の理由~後編

 

f:id:hibari_to_sora:20140417193424j:plain

⑥連鎖する差別構造

「おまえらをいくらキモいと言っても差別じゃないんだよ。キモヲタめ」

「艦これ」で炎上 - Forces of Oppression

エスニック・マイノリティの人が、マジョリティに対して「抗議する」ことは差別では全くありません。またヘイトスピーチを批判する言説はヘイトスピーチではないです。しかし、これはマイノリティ・グループであろうとマジョリティであろうと、属性に関係ないことですが、ある人々が、別のある特定の人々を「~だから」と属性で規定すること、それで例えば「あの集団に属する人には暴力を振るっても特別に許される」のだと人々が暗黙の了解事項としているのなら、理由がどうであれ、それは紛れもない「差別」でしょう。

 在特会や行動保守の人たちのデモによるヘイトスピーチは許されることではありませんが、一方でこうした人たちの行いによってまた別の差別が許されるという、差別の連鎖構造が出来上がっているということでしょう。

ところで「ネトウヨ」「在特会」「オタク」など「差別をする人たち」というのは「醜い」「気持ちの悪い」「頭の悪い」「劣った存在」でしょうか。

在特会の人も、一部のカウンターの人も、それについて意見している人も、「醜い」「気持ちの悪い」「頭の悪い」「劣った存在」などではなく、むしろみんな「マトモな人たち」でしょう。暴言を吐いているのは、誰もが「普通の人」たちではないでしょうか。普通の人が立場を変えて、差別する側であったり、差別される側にいたりするのではないでしょうか。

セクシュアリティが語れない

延々とパラフィリアの類型を羅列しています。しかし、セクシュアリティを語る上での「明確な切り口」持ってないのだから、何をどれだけ出そうが「あまり意味がない」のですね。

f:id:hibari_to_sora:20140417194520j:plain

なぜロリコンはセクシャル・マイノリティではないか? - Forces of Oppression

何のモチーフも持たずに、種類を列挙しても意味がない

ここに列挙されているいくつかは「フェティシズム」です。「セクシュアル・マイノリティ」をコンテクストにしたとき、パラフィリアの類型群との論点はどう考えれいいでしょうか。

f:id:hibari_to_sora:20140417194616j:plain

例えば、「ペドフィリア」に比べて「いわゆるフェティシズム」はあまり怖くないはずなんです。「ペドフィリア」は怖いけど「フェティシズム」は怖くない。なぜでしょうか。

真に人が「怖い」と感じる状況は「人(他者)の欲望が人(自分)に向く」ことです。ペドフィリアは「大人の人が子どもに欲望を向けている」ので「怖い」のです。でも「電車」や「水道の蛇口」に向いているのは怖いでしょうか。

ある男性が電車を見て射精したとしても、社会の制度や規範とは何の関わりも持ちません。射精するために馬を殺しまくったり、電車を止めたりしたら、それはトラブルです。でも、フェティシズムの多くが「自己完結する」と知れば、人はそれをことさら怖いと感じなくなるし、そこに社会的異議を見出すことも困難だという結論に達するでしょう。※「怖い」というのは「判り易い例題」として取り上げています。つまり「対象が人である」ということです。

f:id:hibari_to_sora:20140417194751j:plain

では「異性愛」や「同性愛」はどうでしょうか。状況によっては異性愛も、同性愛もペドフィリアと同じように対象となる人にとっては脅威になり得るはずです(「大人同士の関係」なのですが…)が、いずれも人との関係の中に問題が生じています。戸籍、結婚、保険、医療、生殖、就労、法律。実に社会のシステムに深く根ざした問題です。

「セクシュアル・マイノリティ」の問題系は、前提として、それが「人間関係の問題」であること、また「社会システムと関わりがある」ことなどを主に取り扱っています。「パラフィリア」はその多くが「自己完結」してしまうので、セクシュアリティを語る上での論点が違って来るんですね。

でもこれセクマイか?…少しは常識で考えましょうや。

なぜロリコンはセクシャル・マイノリティではないか? - Forces of Oppression

はい。「常識で考えて違うでしょ」ではなくて(それこそ「常識」で「同性愛」などは「異常」とされているわけで)、そこをちゃんと説明しないといけないわけです。

ゲイカルチャーに「どっぷりと触れた」ことになっているのですが、性の問題が全く、本当に全くと言っていいほど何ひとつ語れないのです。

⑧「差別をしてはいけない」のはモラルの問題なのか?

「それでは彼らと同じになってしまう」みたいなこと言う人たくさんいました。同時に、「在特会の言っていることは賛同できるがやり方が悪い」みたいな人もけっこういました。要は、レベル低かったわけです。

それに比べると、ツイッターを中心に集まったいまのカウンター勢力の人たちは、めちゃくちゃ聡明です。話のわかる人たち。 

「艦これ」で炎上 - Forces of Oppression

在特会における一部の反差別運動が引き起こすイデオロギー的な問題は、『ある差別の問題を解消するためには、多少の差別や暴力は許される』というような考え方が推奨され、人々に浸透しているということです。

ヘイトスピーチに対して実力行使は効果がある、ということなのですが、このままでは終わらないでしょう。

これは今後、確実にやがてもっと大きな差別の問題として顕在化していくはずです。

しかし、ともかく人々の差別感情や憎悪を駆り立て、強化する言説の中心に野間さんはいます。そういう人が「セクシュアル・マイノリティ」について語っている、ということです。

要するに、「差別とは属性で人を見下すことだ」とか「差別は人を傷つけるからよくない」とか「他人の嫌がることを言うのはやめましょう」とか、幼少からそうしたモラルのなかで育ってきた結果だと思います。道徳としてこれらは特に間違っていませんが、実は差別の問題を考えるときにもっとも重要なことがすっぽり抜け落ちていた。

「艦これ」で炎上 - Forces of Oppression

「差別」とはモラルの問題でしょうか。「モラルのなかで育ってきた結果」「すっぽり抜け落ち」たと述べている以上、野間さんは「差別」を「モラル」の問題として捉えていないのでしょう。しかし「なぜ人は差別をしてはいけない」のでしょう?

何が「差別の問題を考えるときにもっとも重要なこと」なのかはどこにも書いていません。

確かに「差別」はモラルの問題ではないかもしれません。しかしなぜ「差別はしてはいけない」のでしょうか。読んでいる皆さんはどう考えますか?

⑨纂奪→セクマイのことを語っている野間さんがそうです

なかにはロリコンペドフィリアをセクシャル・マイノリティだと主張するキチガイまで現れたりと、ここでもアイデンティティ・ポリティクスの簒奪と盗用が行われています。あと、無限の悪しき相対主義と。

「艦これ」で炎上 - Forces of Oppression

今までLGBTの活動などして来なかった野間さんがLGBTセクシャリティについて知ったふうにしゃあしゃあと語っている、それこそが簒奪だというものでしょう。

野間さんはセクシュアル・マイノリティのアイデンティティ・ポリティクスの簒奪と盗用を行っていますね。このブログはそれを告発するためのブログなのだと言っても過言ではないのです。

⑩「艦コレ」と「旧しばき隊(C.R.A.C.)」の構造的な類似点

はい。最後に大炎上したというこのtweetです。

艦これ」には戦艦が「女性」として擬人化されています。ファンタジーの世界に留まらず、船には実際に女性の名前が付けられることがよくあります。それはなぜでしょうか。

「船のユーザーが男性だから」でしょう。ゲームのユーザーが男性だから、船のユーザーが男性だから、軍隊のユーザーが男性であり、そして社会システムのユーザーが男性だから。だからその「エージェント」として女性が描かれるわけです。

映画やアニメで世界を救うのが美少女であったりするのは、<世界>のユーザーが「男性」に設定されているからです。

これは「社会運動」においても同様のことが言えます。

なぜ「仲良くしよう(ぜ)!」になるのか、なぜ「俺様主義」がまかり通るのか、なぜ悪い奴は叩きのめしていいのか。それは「社会運動のユーザーが男性だから」です。

艦隊これくしょん」が「最強に気持ち悪い」ということなのですが、しかし「父権」を担保するという点では、「艦隊これ」も「旧しばき隊(C.R.A.C.)」も構造的、社会的機能としては大きな違いはありません。

艦これ」は「萌え」が、「しばき隊」では「しばく」が、男性ユーザーを気持ち良くさせるわけです。はっきり言って、別に「何も変わらない」です。

f:id:hibari_to_sora:20140417200617j:plain

ゲームを初め映画、コミック、小説など多くの娯楽コンテンツが軍隊や戦争、人々の争いをテーマにしています。またそこでは女性の存在がひとつの見どころとして描かれるわけですが、それはこうした「物語」が男性を対象に考案されるからです。

男性のためのファンタジーの全てが「艦これ」と同じ構造を持つものなのに、なぜ「艦これ」だけが気持ち悪いのか?ということです。「艦これ」が気持ち悪くて「ラリー・レヴァン」が気持ち悪くない、のは男性ユーザーの「傾向」でしかありません。全く別の主体から見れば「艦これ」も「ラリー・レヴァン」も「オタク」も「在特会」も「仲良くしよう(ぜ)」も「男組」や「C.R.A.C.」も。みんな気持ち悪いです。

これだったら「艦これ」は「軍国主義」や「ナショナリズム」を無自覚に助長するといった月並みな批判の方が、数百倍は「まとも」だと言えるでしょう。

おしまい

※今回はやや話が逸れてしまいました。ひびのさんが遠くへ行ってしまいましたね。次回はちゃんと「アイデンティティ・ポリティクスと社会運動」について書いてみたいです。