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2016年 これからのアクディビスムを語ろう?

ちょわっす。ひばりんです。

あけましておめでとうございます。
ところで、コラムニストの英司さんの記事です。

差別発言に過敏にならない、差別心があってもそれを表明しない―ゲイアクティビズム2.0の提言

genxy-net.com

英司さんは記事の中でゲイアクティビズムの歴史を紐解きながら、「ホモフォビア」概念の起こりがかつて既成価値観へのカウンターであったことを簡単に説明しています。

その上で、昨年のトピックを振り返りつつ、今後必要とされるスマートなゲイアクティビズムの在り方について、説いています。

ホモフォビア」という概念が日本で提唱されるようになってから約四半世紀。同性愛者の可視化も進み、同性愛の社会的な認識も少しずつではありますが進んできました。
こんな時代だからこそ、「同性愛嫌悪を治療する」という概念からはそろそろ卒業して、「そういう人たちとも共存する方法を考える」という方向に転換すべき時ではないかなと感じています。
ホモフォビアを治療するという活動を「ゲイアクティビズム1.0」とすると、現実的に共存する道を考えるという活動を「ゲイアクティビズム2.0」と呼びたいと思います。

オバマ大統領が歴代で初めて同性婚にふれた就任演説は、ちょうど3年前の2013年1月21日でした。昨年9月18日オバマ大統領は米陸軍長官に初の同性愛者を指名しています。

日本でもこの数年色々なことがありましたね。

いわゆる「同性パートナー証明書」交付では渋谷区、世田谷区に続き、沖縄那覇市三重県伊賀市兵庫県宝塚市と自治体が次々と名乗りを上げています。
確かにこの数年で、日本でもLGBT、同性愛への理解が驚くほど進んだと思います。
こうした中、差別発言やホモフォビアに対する過激な反応は世論のアンチゲイを刺激してしまいかねません。今後はロビイングを重ねる活動家から日常生活を送る当事者まで、挑発に簡単に乗らない、誹りを受けても相手と対立しない、より高度なコミュニケーションが要求されそうです。
ですから、英司さんの意見には概ね賛成だし、こうした意見が提出されるのも必然性があると感じます。
ただ、ちょっと自分の中では認識が異なるな?と思ったことを少し書きます。

差別発言に対して当事者は過激な反応をしてきたか?

昨年末、渋谷区、世田谷区のパートナー証明書が世間に大きなインパクトを与えました。11月末にあった初のLGBTの人たちに対する人々の意識調査の報告会も記憶に新しいですね。

これに伴い、著名人、政治家議員の差別発言も世間を騒がせたのですが、当事者の人たちが過激な反応をしていたかというと疑問に思います。私はこの時、いくつかまとめを作ったのですが、意外にも激しく反応していたのは非当事者、一般の人たちだったように感じます。
例えば、海老名市市議会議員の発言で目立ったリアクションと言えば、これまでにない早い報道を行ったメディアや議会の対応です。

あくまで「印象」ですが、ネット上で当事者の人たちが差別発言に過激に反応していた時期というのは、オバマ大統領が同性愛に言及を始め、有名人が次々とカムアウトし、まさに「同性愛」「LGBT」が世界的なトレンドとなった13年後期~14年前期だったと感じます。f:id:hibari_to_sora:20160104131445j:plain
14年の日本は在特会レイシズムへのカウンター運動(「しばき隊」の活躍で知られる)と一部のゲイ活動家、著名人らの活動が表だって合流し、大きなうねりを見せた時期です。Twitterでは多くのカウンター系アカウントがレインボーをアイコンに掲げました。

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ソチオリンピックは14年2月でしたが、ロシア反LGBT法には当事者らが中心となって非常に激しく反発しています。当時の当事者の差別、ヘイトスピーチへの対抗言説は一言でいって「過激」であり、さすがに私も辟易したものです。

この時期に比べると、15年は、同性愛、LGBTへの理解が驚くほど進んだ一方で、当事者はむしろ比較的おとなしかった…ではないでしょうか。どちらかというと、一般の人たちが賛成、反対に分かれ激しく反応していたように私には感じられます。

ちなみに東洋経済週刊ダイヤモンドで「LGBT市場」の特集が組まれ話題となったのは12年の7月です。

2015年、当事者は何に反応してきたか?

では15年、当事者らは何に反応して来たでしょうか。
次のまとめはいずれも世田谷区のパートナー証明書やLGBT事業を巡るトピックですが、多くの発言者が当事者です。

15年の当事者らは、非当事者の差別発言にではなく、自分たちの活動の成果、同じ仲間のする活動の戦略に強く反応してきました。仲間の行いを批判し、チェックしていました。過激な反応は一般の人たちへではなく、身内へ、自分たちへと向けられていました。私にはそう見えます。一方で、15年の当事者は、非当事者らから受ける差別発言には「慣れていた」と感じます。
私はこの点でもLGBT、同性愛を巡る状況が新しいフェーズに移ったのだな、と感じました。

次のまとめは年末年始に軽く炎上したゲイ向け代理出産に対する当事者らの反応です。ここでは当事者の視線は自分たちの幸せではなく、その幸せの追求により犠牲となる自分たちよりもっと弱い者の存在へと向けらています。

どうでしょう。当事者の意識も変わって来たと言えないでしょうか。何かあれば「人権ガー!」「差別ガー!」と騒ぎ立てる当事者のイメージはもはや過去のものだと言えないでしょうか。

ヘイトスピーチホモフォビアにどう対処すればいいか?

そこで昨年、目を引いたツイを紹介しておきます。
多くの当事者がアンチに耐性を持ち、比較的おとなしかった中、滅多に怒りを表明しない人が「さりげなく怒っていた」その様子が印象的でした。あくまでも「さりげない怒り」であり、前向きの「怒り」ではなかったと思います。

政治家の心無い発言に当事者らは「またか」という反応が多かった中、7000RTを超えるヒットを飛ばしています。人々の心を掴んだポイントはたぶん「怒っている」ことではなくて、そこに「一人で悩んでいる中学生」や「傷ついた過去の自分」が登場したことではないでしょうか。

対立する相手と共存するには今まで以上に高度なコミュニケーションが要求されますね。英司さんの意見はひとつの答えを提案しています。それは打たれてもへこたれず立ち上がり、様々な経験を経て、強く、立派に成長した当事者でないと出来ないでしょう。
例えば英司さんのような柔軟で強靭な感受性と知性を備えた青年が一人育つのに、マイノリティ属性の人たちは総体でどれだけのコストをかけねばならないかなどと私は考えてしまいます。先行して強く育ったマイノリティの大人たちが必要でしょう。何人かの子どもは中学で自殺しているでしょう。そして何人かの者は生き延びて大人になったとしても、根性が腐ってるかもしれません。育っても資源を食いつぶしただけで「戦士」や「表現者」にならないかもしれません。それでも生きているだけマシでしょう。

数年前、過激に反応していた当事者はきっと今より弱かったはずです。さらに現在強くなった当事者の人たちですが、子供の頃はどうだったでしょうか。子供の頃、私たちはやっぱりもっと、もっともっと弱かったはずです。

理解を深めたいと感じる人々が増えれば増えるほど、対立する相手とどんな関係を築けばいいか、問題はシビアでハードです。
こうした中、強く成長した当事者はただ自分が可能なことをアピールするだけでは、ちょっと不十分かな?と思いました。


ひばりんでした。
てなことで。今年もヨロシクお願いします!!