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LGBT セクシュアリティ ジェンダー系の話題

在職トランスと「通過儀礼としてのカムアウト」~トランスジェンダーについて知っておいて欲しいこと

f:id:hibari_to_sora:20160731000440j:plainちょわっす。ひばりんです。

ポケgo楽しんでますか。私はせいぜい通勤途中にちょこちょこやる程度で済んでますが、それでもそこそこ楽しめますね。

さて、1ヶ月以上前の話になりますが(筆不精で申しわけなっす)、40代MtFの社員がカムアウトを強要されたとして会社側を相手に人格権の棄損に対する損害賠償を提訴しました。
今回はこの事件に触れつつ、トランスジェンダーの「カムアウト」、それも特にMtFの「在職トランス」※について書いてみたいと思います。 

www.asahi.com

報道は6月20日の朝、昼にはテレビでも取り上げられ、約1週間後の28日に提訴されました。

こちらは20日のネットの反響をまとめたものです。

togetter.com

報道におけるこの事件のポイントです。

  • 社員は40代のMtF。私生活では女性として過ごしていたが、会社では不利益を恐れ男性として働いていた。改名後も社内での通用名は男性の名前である旧名の使用を要望していた。
  • 同僚に「性同一性障害」を疑われ上司にカムアウト(報告)した。女性としての処遇は求めていないが、更衣室だけは別室を希望した。
  • ところが会社は更衣室を別室にすることを条件に全社員の前でカムアウト(説明するよう)を要求し、名簿を改名後の名前に書き換えてしまった。
  • 結果、社員は不本意なカムアウトを余儀なくされ、性同一性障害であることが社内に知れ渡ってしまった。社員はその精神的苦痛からうつ病を発症、2週間休職した。復職後は配置転換された。

実は事件がニュースとなる数ヶ月前、ある当事者団体のグループカウンセリングの場で本件の当事者から話を聞いていました(口止めというか、釘を刺されていましたが、もうニュースになったし言ってもいいと思います)。
まとめでは、「権利、権利」と職場に請求する、まるでクレーマーのような「当事者」がまた騒ぎを起こしたとでも言いたげな発言があります。そう考えている人は一般の人のみならず、例によって、トランスジェンダー当事者にもいるんじゃないでしょうか。
しかし、彼女が職場に望んだことは「女性として扱ってくれ」などと「要求」めいたものでは全くありませんでした。「扱いは男性のでままいい」「名前も旧名のままでいい」などという、およそトランスの真逆を行く、それは「控えめ」といより、ほとんど「自己否定」的な「お願い」でした。
トランスジェンダーにとって最大の関心事は「自分の望むままの性別で自由に生きていける」ってことです。みなさん、ちょっと想像して欲しいのです。
「望みの性別で扱ってもらわなくてもいい」という条件で職場の上司に交渉するトランスジェンダーの気持ちを。
グループカウンセリングでの彼女の様子は心に傷を負った人のそれでした。さっきした同じ話を何度も繰り返しました。ひとつの要点を聞き出すのに大変な時間を要する状態でした。そして二言目には必ず「自分が悪いんだ」「自分が迷惑をかけているから」と自分を責めていました。しまいには声が震え、仲間に肩を抱かれる場面もありました。これには、さすがに私も目頭が熱くなり、胸の奥が締め付けられました。
彼女はなるべく目立たないよう、なるべく会社に迷惑をかけないよう、自分を偽る苦しみと引き換えにトランジョンを進めようとしました。でも会社側は様々な嫌がらせを彼女に与え続け、彼女の心は壊れてしまったのだと私は感じました。
この事件は「在職トランス」と言われるものがトランスジェンダー、さしずめ「MtF」にとって、いかに困難であるか物語っている事件だと言えます。

※「在職トランス」って何?

ま、当事者には判り切った話ですが、ここで「在職トランス」ついて簡単に説明しておきたいと思います。
「在職トランス」とは、主に社会人になってからのトランスで、ある事業所、職場に勤めながら性別移行を行うものです。転職を繰り返しながら進めるパターンもありますが、一般に「在職トランス」とは、ある事業所の職場にずっと在籍しながら、性別移行を果たすことです。
「在職トランス」の一番のボトルネックは、トランスの進行に合わせて上司や同僚に理解を求めていかねばならないことです。必然的に「カムアウト」が必要になるのですね。
しかし、同性愛者と異なり、トランスジェンダーの場合、トランスが進行すると「身体」や「振る舞い」「見た目」に「変化」が現れ、その在り方が「可視化」されるので、実際には本人の「カムアウト」より先に周囲の者が気づいていたりするものです。この場合の周囲の対応は様々で、本人と周囲の関係が良好であれば、そういう「個性」、「そういう人」として了解されることもあります。決して会社公認ではないけれども内々で承認されるわけです。
「在職トランス」の「成功体験」を語るトランスジェンダーの中には「カムアウト」する以前に例えばMtFですと「時々女装して会社に行ってた」とか、FtMだと「他の女子社員とは違って、作業服を着て男子と一緒に仕事をしてた」とか、職場でトランスが半ば黙認されていた事実を伝える人たちがいます。こうしたトランスジェンダーたちにとって「カムアウト」は「黙認」を会社「公認」にしてもらうための「手続き」に過ぎず、既に既成事実としての「実績」があるだけに比較的「在職トランス」が成功し易いものです。しかし、こうした例は相当本人に素養や職務上の能力が求められることと、周囲の環境にも恵まれていないと実現せず、誰もが望んで出来ることではありません。
大抵のトランスジェンダーにとっては、トランスを敢行する上で職場や身の回りに生じる様々な困難を乗り越えて行くことが「在職トランス」です。
以下に性別を変える人が辿ることになるトランスのパターンを大雑把に3つに分類してみました。

トランスのパターン

あくまで大雑把な括りです。例外を除き、トランス(性別移行)を行う人は大抵の場合、AからC群までのいずれかに該当します。

  • A 在学トランス 学校教育法などで定めるところの「学校」。幼稚園、小中学校、義務教育学校、高等学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校、専門、専修学校。主に全日制の学校でのトランス。
  • B 在職トランス 正社員、契約社員、派遣、パート、アルバイト。ある事業主と雇用契約を結び、日常的に従事する業務や労働に就いている人たちのトランス。
  • C その他の自由なトランス 自由業(芸術家、芸能人、ライター、イラストレーターなどクリエイター職、医師、弁護士・会計士などの士業が代表的)。自営業。無職、ニート

A群…在学中は「校則」があるし、担当の教員、あるいはクラス内でクラスメイトと人間関係が生じます。しかし「在学トランス」の特徴は進級・進学を繰り返すわけで、数年内の比較的短期間で人間関係や学校側の対応が「更新」される点です。別の言い方をすれば、本人の成長に合わせて待ってくれないほどに、周囲の状況も目まぐるしく変わっていくのがA群の特徴でしょうか。大学以降は「校則」も緩く、学生の自主性が尊重されるようになります。ゼミ、研究室の人間関係と言えば、比較的小規模グループのそれではないでしょうか。学内にはLGBTのサークルなどもあるでしょうし、そうした場に自分の意志で能動的にアクセスすることも可能になります。本人に周囲の変化や状況に対応出来るだけの思考力や行動力が備わっていれば、おそらく大学は最もトランスがしやすい環境でしょう。

B群…A群に比べてB群の決定的な特徴は「生活」や「規則」に雁字搦めに縛られていることです。パート、アルバイトは短期なら人間関係は毎回更新されます。自分のトランスの進み具合に合わせて転職を繰り返せば、職場で起こる問題は回避できると思うでしょう? しかし、そんなに上手く行くでしょうか。それにフリーターだと生活に追われてトランスどころではなくなってしまうかもしれませんね。
正社員、契約社員など長期間継続して一つの職場に居続けながらトランスが出来れば経済的には安定します。しかし、ひとつの職場に留まるということは、ずっと「規則」や「人間関係」が更新されないということです。いつかは上司や同僚など職場の人たちに理解を求める必要が生じます。
つまり先述したようにB郡「在職トランス」のボトルネックである「トランスの進行に合わせて上司や同僚に理解を求めていかねばならない」こともB群の人の特徴です。
そしてB郡「在職トランス」の難点は、それが成功したとしても、性別を変える前の、過去の自分を知る人が同じ職場、あるいは取引先に存在し続けることです。同じ職場の上司や同僚にカムアウトはいいのですが、例えば取引先の担当者にはどう説明すればいいでしょうか? トランスジェンダーの「在職トランス」ではそういった問題にも企業や事業所は取り組まざるを得ないことになります。
日本では戸籍変更にSRS(性適合手術)も必要になります。1~2ヶ月はオペのダウンタイムがあり、会社を休まねばなりませんし、復帰してもオペ後の数ヶ月は弱った身体で通勤を続けることになります。社会生活、就労、人間関係、既婚者なら家族の問題、独身ならパートナーとの関係、健康管理。もう、まさに「大人のトランスジェンダー」が直面する問題がてんこ盛りなのが「在職トランス」です。

C群…この人たちの大きな特徴は「規則に縛られてない」ことです。「自由」なんですね。しかし、クロスホルモンを含め少しでも医療に頼る一般的なトランスには「お金がかかる」ので、何らかの形で資金を自分で調達出来ないと「トランスがなかなか進まない」といったことになります。手に職を持ち、フリーランスで独り立ち出来るならともかく、無職やニートだと資金不足に加え、親や兄弟、親類といった「家族」や「近所の人」など「身近な人」がトランスの大きな障害になります。このC群ではトランスに成功すると「トランスジェンダーであること」を前面に出して活動することが可能になります。「性の多様性」や「ありのまま自分」などといったスローガンを「トランスジェンダー」として欲しいままに主張することが出来るようになるわけですが、言うまでもなく、そんなことが可能なトランスジェンダーは、トランスジェンダーの中でもごくわずかです。

A群はB群の「予備軍」であり、A群の多くの当事者は「自分がB群になる前にトランスを終えよう」と考えます。なぜですかって?
私は「トランスジェンダー」の啓発を行う活動家、研究者がオペやトランジョンを急ぐ当事者を批判したり、何の根拠もなく「トランスジェンダーでも就職が出来る」などと言うことはすごく無責任な事だと感じています。
なぜならば「B群に入るとめちゃくちゃトランスが難しくなる」「場合によってはトランスどころではなく人生を踏み外す」ことぐらい、子供でもすぐに判ることだからです。

※もちろんIT系、マスコミ、クリエイティブ職など職種によっては本人のジェンダーアイデンティティやジェンーエクスプレッション(性表現)が問われない、問われにくい職場の環境、職業もあります。またFtMはともかく、MtFには職業ニューハーフに代表されるようなトランスであることを前提に「性転換」を「売り」として働ける職場もあります。上記はあくまで大ざっぱな分類です。

MtFには分が悪い「在職トランス」

さて「在職トランス」ですが、FtMに比べるとMtFは何かと「分が悪い」のです。こう言うとFtM勢から「そんなことはない!FtMにもFtMなりの苦労がある!」と反発をかってしまいそうですが…。
下記は企業・事業所のマニュアルでよく見かける「身だしなみチェック」のイラストです。模範的な「男性社員」と「女性社員」の姿、服装が描かれていますね。

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そこで当たり前と言えば当たり前の話ですが、男性である人が女性になる、とはこのイラストでいう「左側の人が右側の人になる」ということです。
当たり前ですね。
しかし、MtFはもともと「男性」ですしトランスの途中過程にある場合は戸変(※戸籍上の性別の変更。「性変」などとも言う)は出来てない状態なわけですから、理屈で言えば「女性」ではなく「男性」なわけです。本人のパス度が高かったとしても、どんなに見た目が良かったとしても、戸籍上は男性の人が右側の格好をすることは、企業にしてみれば「男子社員が勝手に女装している」状態でしかなく、それは「服装規定を違反している状態」に過ぎません。

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髪型やメイクの例が分かり易いと思います。例えば女子のショートやサッパリメイクが服装規定に触れることはないでしょうが、男子のロン毛、メイクは確実に触れてしまいます。
また目立つとしても、見た目が良ければいいのですが、MtFにも様々な人がいますね。FtMなら「こざっぱりしたイケメン女子」とか「男勝りな人」で納まる立ち居地がMtFには残念ながら全くありません。

「内規」以前に「差別はいけないと判っているけど、どうしても無理!」「生理的に耐えられない!」と周囲の人が業務に集中できないほどストレスを感じてしまうこともあると思います。こうなると当事者にも周囲の人にとっても、LGBTとかSOGIとか「ダイバーシティ」「インクルージョン」などといった言葉は所詮綺麗事、理想にしか過ぎないものになるでしょう。「気持ち悪い」というのを「トランスフォビアだ」と言って批判するのは簡単なことですが(そしてそれはたぶん「フォビア」でしょう)、しかし、「男性の性転換」が「気持ち悪い」と感じる人に「あなたはフォビアを抱えているのだ」と言ってみたところで何か解決するでしょうか。綺麗事、理想主義では済まないわけで、この問題はとても難しいと思います。

FtMも例えば服装規定に「女子はスカート」と明記してあったり、特に職種、持ち場によっては女性であることを強く求められるような場合、MtF同様振る舞いや格好がすぐに内規に触れたり、職場の人間関係に軋轢を生んだり、苦労は絶えないでしょう。
しかし、客観的に言って企業目線で考えたとき、FtMに比べるとMtFのトランスは、職場の風紀や秩序を乱し易い、従って職場や取引先や顧客とトラブルを起こし易いとみなされます。

f:id:hibari_to_sora:20160731000944j:plainFtMより「MtFの方が分が悪い」というのは、MtFのトランスは社内で目立つし「内規に触れ易い」、経営的観点からリスク要因として企業の排除の対象にされやすい、ということは言えるのではないでしょうか。

例えば、出世コースにいたり、なるべく問題を起こしたくない「今が自分にとって大事な時期だ」と考える中間管理職の男性がいるとします。そんな彼にとって部下の男性の性転換は一体どう見えるでしょうか。
職場の中の「トランスジェンダー」は、周囲の人から見れば場合によっては自分も一緒に足元をすくわれかねない、出世の失敗、村八分、排除の対象になりかねない非常にリスキーな存在なのです。

しかしこうして見ると、MtFで職場で黙認されてしまうようなケースでは上記でいう違反だらけの状態なのに不問にされてるわけですから、冷静に考えてみると「すごいことが起こっている」のですね。周囲の人もある意味「違反に参加してる」ことになるのですから。日本人的な特質というか、「仲間なのに村八分」という<排除の仕組み>と、「異質なもの」や「例外」も包摂する<同化の仕組み>が同居する日本の共同性の特異さでしょうか。「在職トランスの成功例」には、本人の素養や努力だけでは語れない日本の風土や文化的な背景もあるような気がしてなりません。

共同体の結束
通過儀礼」としてのカムアウト

さて「カムアウト」ですが、これは以前『「女性トイレ禁止は差別」~トランスジェンダーが遭遇するトラブルを語る時、多くの人に最低限知っておいて欲しいこと』でも使わせてもらったある当事者のツイートです。
「社員の前でカムアウトした」と述べていますね。

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実は、在職トランスではその過程で当事者が全社員の前で「カムアウト」をしたり、必要に応じて「性同一性障害」や「LGBT」などセクシュアルマイノリティの講義めいた「説明を行う」といったことは珍しいことではなく、度々聞かれて来ました。
私の記憶でも「在職トランス」の成功を語る多くのMtFは、「皆の前でカムアウト」を体験しています。まるで武勇伝のように誇らしげに語る当事者もいました。

ところで、特例法元年(2004年)前後はGIDが一気に世に知れた時期でした。
次の動画はGID性同一性障害)ブームの火付け役ともなったドラマ「金八先生」※で上戸彩演じるFtM「鶴本直」が教室の生徒の前で「カムアウト」するシーンです。

youtu.be

この鶴本直の「カムアウト」の後には「セクシュアル・マイノリティ」の「特別授業」が描かれています。鶴本直を含めた生徒の前で、保険の先生が「性同一障害」について説明し始め、しまいには「それ(性同一障害)が鶴本直です!」とあろうことか先生がその衝撃的な秘密を暴露(アウティング)します。鶴本直のカムアウトの直前には彼の性自認金八先生が皆の前で強い口調で問いただす、といった場面もあります。ですから「鶴本直のカムアウト」は「カムアウト」と言っても、善意の第三者によるアウティングとセットになった説明的で、かつ「半強制的なカムアウト」だと言えます。
次はそのシーンの台詞を起こしたものです。

金八先生(以下、金八) 美紀、男ですか、女ですか?
みき 女です。
金八 はい、ミッチー。
ミッチー 俺だって男だ!
金八 わかったよ。怒んなよ、そんなに。はい、つぎは信太!
信太 ワイは立派なもんぶらさげとるでー。だからワイは男や!
金八先生 はい、次、直。
直 …。(長い沈黙の後)僕は…男です。
金八 …君は前にもそう言いました。しかし、私たちには君が女の子に見えます。なぜ君は男と言うのですか?
直 …僕の性自認は男だからです。
金八 もし良かったら、みんなに判るように、君のことを話して下さい。
直 …僕の身体は生物学的には女です。だから花柄の服を着せられたし、(親は)バレエやピアノを習わせようとしたけど、僕はそれが嫌で嫌でたまらなかったし、幼稚園に入って、女の子のグループに入れられたことが納得出来ず、不満でした(中略)私は自分が男の子だと思ってたんです。ただ、とても悔しかったのは男友達のようにどうしても立ちションが上手く出来なかった…。でも性自認は男だからもっと大きくなったら、疑いもなくペニスは生えてくるものだと思ってました。

性同一性障害のレジェンド」として知らるドラマですが、今観返すと当事者だったら頭が一気にハゲ上がってしまうようなシーンの連続です。もし自分が直だったら、こんなことをクラスでされたら、そのまま窓から飛び降りて自殺していたと思います。

しかし、当時は「教育」をテーマにした親も子も観る人気ドラマで「セクシュアル・マイノリティ」を知る機会を作った「画期的」「革新的」な試みでした。「男女共同参画」「虹」といった用語が登場する台詞の端々からは、当時の専門家や活動家、当事者らがある思想に基づいて番組制作に関わっただろうことも容易に想像できます。
ですが、このドラマは、今日日、研究用の「教材」や「資料」には成り得るとしても、当事者の人には無条件で見せられる内容ではないでしょう(当事者の人で第6シリーズを全編観てみたいという人は心の準備をして観ましょう。内容的にはかなり微妙なことを言っているシーンもあります。傷つき易い人、トランス初期のデリケートな状態にある人は観ない方がいいです)。

さて、鶴本直ですが、自らの意思というより、みんなの前でカムアウトせざるを得ない状況に追い込まれるような形でカムアウトしています。しかし、教師のアウティングや半強制的なカムアウトは他の生徒に「鶴本直の苦しみ」を共有させるために行われていることで、言わばそれは「人を感動させるための演出/手段」です。かくして、生徒たちは大泣きで鶴本直を受け入れ、同様の効果をお茶の間でドラマを鑑賞する視聴者にも与えたはずです。
次は、鶴本直が「男子の制服」を着て全学年生徒、教員、親たちの見守る中「私は性同一性障害であり…」と自分を語り始める「卒業式」の名シーンです(2:40から)。

youtu.be

この「鶴本直の物語」は「GID性同一性障害)の成功体験」、その「プロトタイプ」「モデルケース」として、以後「当事者たち」(本人を含め、親、教師、医師など)に強い影響力を示し続けることになりました(「鶴本直」のモデルはかの「虎井まさ衛」さんです)。現在でもメディアで取り上げられる当事者のドキュメンタリーや、あるいは映画や漫画などで創出される性同一性障害のサクセスストーリーの、その多くは「鶴本直の物語」のクローンであり、そのバリエーションではないでしょうか。そして、リアルの場でも職場の全社員の前で自ら進んでカムアウトする当事者の姿は「鶴本直」とオーバーラップします。
しかし「鶴本直の物語」における「カムアウト」ですが、これは果たして「カムアウト」と言って良いものなのでしょうか。そもそも「カムアウト」とは一体何なのでしょうか?

次は卒業式の壇上の鶴本直の台詞を起こしたものです(上記リンク、2:40から)

この善き日に伝統ある制服を着用しなかったことは改めてお詫び申し上げます。けれど、わたくしが性同一性障害であることは、諸先生方に取り組んで頂いたおかげで、みなさまに理解して頂いたところであります。従って、今朝まで制服について悩みました。わたくしは男子です。それを認めてくれた多くの友の前でスカートを履いて来ることは、自分を偽ることになります。未だ生物学的には女子ですが、今、この制服を着れて、とても幸せです。わたくしがこの桜中学に転向し、今、卒業していくこと心から感謝し、幸せに思っております。

ここで鶴本直は「性同一性障害であることは、諸先生方に取り組んで頂いた」と言っていますが、その内実は半ば強制的な「カムアウト」であり、皆と「苦しみ」を共有するための「儀式」のようなものでした。「儀式」を終えた鶴本直や周囲のクラスメイトにとっては、彼がスカートを履いて来ることは一種の「契約違反」であり「裏切り行為」です。鶴本直は「自分を偽る」と言ってますが、これはそのまま「先生や友を裏切る」という言葉に置き換えても、なんら差し障りのない、いやむしろその方が正確だと言えます。ここでは「制服」は自らの「性自認」を代象するジェンダーエクスプレッションではなく、あくまでも鶴本直が共同体の一員であることを象徴する「証」です。それは自由意志に基づいて行動する「個」や「自己」の発現ではなく、共同体の絆に結ばれ、人間関係の掟の中に結実する、家族的で私的な「私」のあり方だと言えるでしょう。
はみ出し者の熱血教師が一人生徒のために奮闘する物語として知られた「金八先生」ですが、その物語の構造は「異端の者が現れる」→「共同体の結束が揺らぐ」→「苦しみを共有する」→「カタルシスにより共同体の絆が再生される」→「共同体の絆はより強くなる」といったドラマツルギーで一貫していることは、この回に限ったことではありません。そこで描かれる「異端者」は、共同体の再構築のため、ある時は共同体に受け入れられ、またある時は共同体から排除される、水戸黄門や虎さんのような存在です。これは共同体(例えば国家)と対等な契約関係を結び、自由意思に基づいて行動し、場合によっては、共同体の規則に変更を加える権利をも行使出来る近代的な意味での「個」という存在からはかけ離れています。

ドラマの中の話だけではありません。ゲイライツやLGBTムーブメントにおける「カムアウト」と言えば、身近な人に理解を求めるというメンタルなものである以上に、同性愛者が異性愛者と同等の権利を主張する、公民権を得るといった、本質は政治的な行為であり、「権利の主張」です。その「権利」というのは「国家」と対等である「市民」とか「個」といった概念を前提にするものです。しかし、現在日本で私たちが言うところの「カムアウト」という行為は何のために行われているでしょうか。
良いか悪いかはともかく、本人の人権を考えると極めて問題がありそうな全社員の前でのカムアウトを本人自らが喜んで引き受けることすらあるわけです。
それは「個」の権利の主張というより、共同体に認証されるための「手続き」、苦しみを分かち合い、感動を人に与え、共同体のメリットになることと引き換えに受理される、言ってみれば共同体の「通過儀礼」としての「カムアウト」です。
例えば、脱医療化、脱精神病の提唱のもと推奨される「ありのままの自分」とか「トランスジェンダー的な生き方」もそうです。私たちは北米から輸入した概念やアイデアを使っているようでいて、本当は古来から受け継がれる認証手続きを未だ行っており、「カムアウト」や「トランスジェンダー」などと言うものの、実は「良く似ている」だけで中身は『全くの別物』なのではないでしょうか…。

「権利の主張」か「通過儀礼」か
「カムアウト」どう考えたらいい?

次のリンクはカムアウトの強制を法的に解説したものですが、ここでは「性同一性障害」は「高度な私的情報」と定義しています。
ただ、トランスジェンダーの「性別移行」をいったんは「性同一性障害」という「病気」「疾患」に置き換えることで法的な解釈を実現しているので、最近の脱病理化の流れとはやや齟齬がありそうですね。

www.bengo4.com

「在職トランス」が成功するトランスジェンダーの多くは、保守的なトランスジェンダーで、性別を変えた後も社内の風紀を乱したり、ジェンダーバランスを崩すようなことはありません。むしろ職場の風紀は向上し、女性は女性らしく、男性は男性らしさが求められるジェンダーバイアスの高い職場が実現するでしょう。そして保守的なトランスジェンダーの多くはそのような環境に自ら適合することで生き残っていくわけです。

私は、どこまでカムアウトをすべきか、それがどんな形によるものか、企業のためになるとか、あるいは職場の風紀が整備されるとか、その引き換えに行われるものではなく、あくまで本人の人権や人格が尊重されることが望ましく、そのために必要最小限に留めるべきだと考えています。マイノリティが共同体の人柱になるなんて「時代錯誤」でしょう。
しかし、日本式の「通過儀礼」としての「カムアウト」の典型のような「全社員の前でカムアウト」も少なくない成功体験者が語るだけあって「上手く行くときは、上手く行く」のですね。日本の社会の風土や文化にそれが合っているのかもしれません(断っておきますが、ヤクルト工場で行われた強制カムアウトはそのようなものでは全くありません)。
色んなことが言えるわけですが、しかし、トランスジェンダーの問題のマストは、ともかく、それがどんな形であれ、トランスジェンダーが生き残ること」だと私は考えています。
日本の共同体の悪しき部分はそれはそれで批判されれば良いのであって、ともかくそれでその場が収まり、トランスジェンダーが少なくとも明日、あるいは1ヶ月後、半年後、1年後、5年後の自分の生きる姿が安心して描ける、そんな日々が送れるのなら、それはそれでひとつの「生き方」であり、そういう「社会」や「共同体」もあるだろうと思います。

ちょっと長くなってしまったので、今回はここまで!
次回は企業でトランスジェンダーのカムアウトをどう扱えば良いか、またその時トランスジェンダーは何に気をつけるべきか、もう少し具体的に取り上げたいと思います。

ひばりちゃんでした!
んじゃ、またね。


※『3年B組金八先生』(制作局TBS)は、1979年(昭和54年)から2011年(平成23年)までの32年間にわたって、TBS系で断続的に制作・放送されたテレビドラマシリーズ。日本の学園ドラマの金字塔と称される作品。第6シリーズは2001年10月から2002年3月に放映された。