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LGBT セクシュアリティ ジェンダー系の話題

Forbes JAPAN、及びHUMAN RIHGTS WATCH、土井香苗さんに異議があります!~「性適合手術」を「強制不妊手術」と呼ぶことを止めてください

forbesjapan.com

www.hrw.org

上記の記事に異議を申し立てます。

これは、2003年に成立した「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」)におけるトランスジェンダーへの生殖能力喪失及び、外見具備に関する要件(第三条、四、五。以下「身体要件」とす)への撤廃に反対するものではありません。

確かに、特例法の身体要件は、本来身体的変更を望まないトランスジェンダーに対して無為な外科オペレーションを動機付け、ストレスやプレッシャーを与えています。トランスジェンダーは性別アイデンティティを確立する上で不必要な病態性の獲得を迫られ、自己決定の範囲と選択肢、機会を極端に制限されています。それだけではありません。様々な性別アイデンティティを有するトランスジェンダーの性別を生物学的根拠によって意味付け、承認する法令が存在することは、翻って、個人、並び社会における性別のあり方を、追認し、再序列化し、伝統的なジェンダー規範を常に強化するものであり、人々にとって性と身体、生殖、家族のあり方の多様性、その自由と権利を根本から閉ざすものだと言えます。

ですから、私は特例法における身体要件撤廃は、早急に議論が進められるべき重大な案件だと考えています。
しかし、異議があるのはそこではありません。

今回リリースされたForbes JAPANの記事では、昨今話題の「旧優生保護法」のもと政府より弱者に対して強制的に行われた「不妊手術」と、トランスジェンダーにおける「医療ケア」の問題を安易に結び付けています。
これではまるで「性適合手術」を望むトランスジェンダーが、「旧優生保護法」の被害者のように政府から強制的な「不妊手術」を受けて来たかのように読み取れます。
「性適合手術」はトランスジェンダーの性別アイデンティティを構成するための重要な位置づけにある「医療ケア」のオプションのひとつであり、「不妊手術」でもなければ、まして「性転換手術」でもありません。
記事は「医療ケア」を望むトランスジェンダーに新しい社会スティグマを生産しています。

「特例法」制定以後、多くのトランスジェンダーたちが戸籍上の性別を変更して来ました。2010年に500人を超え、2016年で900人を突破し、2017年時点での総数は8000人近い人たちが「性適合手術」を受け、新しい人生を歩んでいます。この中には、不本意な手術の選択を迫られた人も存在します。しかし、その総ての人たちが「旧優生保護法」の被害者のように「不妊手術」を強制されたとでも言うのでしょうか。

「特例法」の身体要件には、かつて、ある「性転換手術(判例より引用)」の適法性が争われ有罪判決となった経緯が背景にあります(俗に言う「ブルーボーイ事件」。東京地裁昭和44年、東京高裁昭和45年)。この時は、警察が男娼を取締る口実として「旧優生保護法」を恣意的に濫用したことで、手術の適法性が問われました。

つまり「旧優生保護法」はある時は弱者の生殖権を奪う「不妊手術」を強制するために、そしてまたある時は当時のトランスジェンダーが生きる手段として選び取った「性転換手術(判例ママ、以下同)」を違法とし奪うために、権力によって都合良く運用されて来た法令だと言えます。

この事件を契機に、当時、世界に先立っていた日本の「性転換手術」は急速に衰退します。「オペは違法」。トランスジェンダーは表立ってそれが出来なくなりました。また「オペを望んでいる」あるいは「オペを受けた」ことを堂々と人に言えなくなりました。「手術をすることはいけないこと」。手術を望むトランスジェンダーは世間に背を向けて生きることを余儀なくされ、闇で行われる日本のオペの技術力は陥落しました。トランスジェンダーはこの時、セクシュアリティにおける自己決定の選択肢のうち、ひとつの重要なオプションを確実に失ったのです。当時を知るトランスジェンダーたちは、この時代を「闇の時代」と呼んでいます。

これは比喩ではありません。『「性転換手術」は「(旧)優生保護法違反」であり、人に隠れて行うもの』とされた当時代は「医療ケア」を望むトランスジェンダーにとってまさに「闇の時代」でした(「暗黒の時代」とも呼ばれます)。

「闇の時代」は昭和44年(1969年)から、平成9年(1997年)の「性同一性障害の診断と治療のガイドライン(初版)」、平成10 年(1998年)の埼玉医科大学性別適合手術」、翌年「GID研究会」発足を区切りとすると、実に30年余り続いたことになります。当時20歳だった当事者は50歳に達しています。「医療ケア」を必要とする者たちは「牢獄」に入れられているも同然でした。
想像してみて下さい。誰にも言えず、薄暗い部屋の中に閉じこもり一人で自分の姿を、あるいは、おぞましい肉塊に変わり果てた自分の性器を鏡に映しては絶望する毎日を。
想像して下さい。それが誰にも言えないのです。たった一人なのです。そしてそのように「悩み苦しむ自分の存在そのものがこの国では法的に禁じられている」としたら、一体そんな日々を、そんな現実をどう受け止め、生きて行けばいいでしょうか。

東京高裁は判決の一方で「性転換手術」が適法となる「適応基準」を示しました。この「適応基準」が後に「ガイドライン」の原型となります。「特例法」立法化は、平成9年のファースト「ガイドライン」と平成10年の「性適合手術」(「性転換手術」ではない)に先導されました。「ガイドライン」では正当な医療行為として「病態性」「障害性」が明確化され、「特例法」では医療行為の適法化のためバイナリな性別「男/女」へのアイデンティティ、「性自認」が規範化されました。「性同一性障害者のモデル」の誕生です。

この「典型の男女」を規範化した「性同一性障害者のモデル」(そのエビデンスに該当する人たち、それをアイデンティティファイする人たちも実際に存在するとは言え)に多くの問題点が指摘されて来たことは事実です。
しかし、立法の経緯を辿れば「特例法」は、「旧優生保護法」が弱者の生殖権を奪ったように、トランスジェンダーから生殖の権利を奪うことを目的としたものではないことは明らかです。「特例法」の「身体要件」は、一度は奪われたトランスジェンダーの「手術を受ける権利」「希望する医療ケアを受ける権利」を、全く不完全で、いびつな形であるとは言え部分的に「取り戻すもの」でした。

「特例法」と「ガイドライン」のおかげで、医師は安心してトランスジェンダーの医療行為に従事することが可能になり、トランスジェンダーは「医療ケアへのアクセス」が可能となったのです。

現在、SNSを見渡すと必ずと言っていいほど、誰かが病室からピースサインを送っています。若いMtFFtMたちが自分の手術をネットを通じて実況し、情報を共有し、「診断書」や戸籍変更の「判決文」を、ドクターとのツーショットを、恥じることもなく、大っぴらに見せ合い、喜びを分かち合っています。
「はりめんなう」は今やトランスジェンダーたちの合言葉です。そして、精神科医や外科医は私たちを精神障害者として扱っていません。
「オペを望んでいる」「オペをした」ことを堂々と「人に言えるようになりました」。企業の人事部にカムアウトすることが可能になりました。「診断書」を以て学校に相談を持ち掛けることが可能になりました。それは世間に訴えてもちっとも恥ずかしくないものになりました。医療技術が躍進し、再配置された自分の性器を見て絶望するということがなくなりました。最適化された身体で普通の男女と同じように、異性と、あるいは同性と恋愛し、セックスが出来るようになりました。それは多くの人々が「当たり前」にしていること、恥ずかしくない、それを語り、楽しみ、その尊さを他の人と共有すること。それが他の人と同じように出来るようになったのです!
あの「闇の時代」。一部の人にはその総てが、およそ世界のほとんどが閉ざされていました。こんな未来があると、一体誰が、想像出来たでしょうか。

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「特例法」が不完全なものになった理由は次によるものです。
まず第一に「警察、国家的統制力による法令の濫用があったこと」、第二に「”特例法”や”ガイドライン”は”トランスジェンダーの権利”ではなく、実は”医師の権利”を守るものとしてあること」(これは第一に由来するものです)、第三に揺るぎないものとして「この国の家族・性別システムの基幹部である”戸籍制度”の存在」が挙げられます。
しかし、当時、立法、医療化に関わった人々は、出来る範囲で可能な限りのことを尽くしたはずです。

記事はこうした日本固有の歴史と制度の問題を踏まえず「汚点」と一言で斬り捨てています。これは、この国でトランスジェンダーが歩んできた「歴史」とその道を踏みしめた者たちへの「冒涜」です。
「汚点」と言うならば、「特例法」よりまず先に「戸籍制度」であり、「旧優生保護法」を恣意的に用いた当時の「国家権力」であり、言われるままに有罪とした「ブルーボーイ事件」の司法機関ではないでしょうか。
司法に携わる者ならば、なぜ「本当の悪」を追求しないのですか。

まして、「旧優生保護法」の被害者となった知的障害者たち(だけではない)と、身体要件を容認するトランスジェンダーを全く無根拠に重ねるなど、両者に対する偏見を極めて助長し、その人格・アイデンティティを棄損しています。
これは果たして人道的な言論と言えるでしょうか。
「身体要件」を義務付ける「特例法」は更新する必要がありますが、本来の原因、本当の悪を咎めず、立法化に尽力した者たちや、「医療ケア」を要求するトランスジェンダーたちを悪者にしないとそれが出来ないのだとしたら、そんな権利はWHOにも、HUMAN RIHGTS WATCHにも、WPATH(World Professional Association for Transgender Health)にも、弁護士にも、誰にもありません。そんな言論は、一切認められません。

上記の理由により、Forbes JAPAN、及びHUMAN RIHGTS WATCH、土井香苗氏に対しここに「異議」を申し入れます。
上記のメディアと土井氏には社会に対する「責任」があると思います。
何らかの形で生産性のある返答を求めます。

どうか宜しくお願いします。

 

水野ひばり(少年ブレンダ)

 ※「性適合手術」…「性別適合手術」「性別再適合手術」「性別再割当手術」。「性同一性障害」の概念における「性別」は「割り当てられた性別」であり、厳密には「身体的な性別」とは意味が異なる。出生時「割り当てられた性別」を「再び割り当てる」ための手術。苦痛を軽減するため、QOL向上のための医療ケアの一種であり、その目的から審美性、機能性も問われる。

追記 お願い

特例法批判について専門家の皆様にお願いしたいこと

実のところ、「特例法」批判は、今回取り上げた記事に限らず、同様の論旨が数多く存在しています。この機会を借りて、「特例法」を批判し、また研究する社会学者、法学者の人たちにお願いがあります。
経緯はなんであれ、「特例法」は世の中と性的マイノリティに多くの変化をもたらしました。今では「性同一性障害」(この疾病名が今度どうなっていくとしても)という「病態」をアイデンティティファイする者も存在します。「性自認」や「性同一性障害」が医学上の「仮説」であれ「現にそういう人たちがいる」ことが重要だと考えます。
その上で「特例法」を批判する時、気を付けて欲しいことがあります。

①「性適合手術」をむやみに「強制不妊手術」などとしないこと。

「医療ケア」を望むトランスジェンダーにとっては「強制不妊手術」ではないし、違法となった「性転換手術」でもないのです。あくまでもそれは「性適合手術」です。なぜ一部の医療関係者、「医療ケア」を望むトランスジェンダーたちが、それを「性適合手術」と主張しているのかその意味をよく考えて下さい。

②「性適合手術」を望むトランスジェンダーに配慮し、「特例法」批判の過程で存在を無視しないこと。人格やアイデンティティを傷つけたりしないこと。

脱医療化、脱病理化が叫ばれて久しいわけですが、そんな中で「特例法」批判は「医療ケア」を望むトランスジェンダーに新しい社会スティグマを創造しています。「オペを望むこと」自体が「悪いこと」であるかのような印象を本人や世間に与えています。病態であることが「悪いこと」なら、世の中の「病人」はすべからず「悪い人」になってしまいます。人道を理由に言論が新たなスティグマを生産するなどあってはなりません。

③立法化の経緯、過去の歴史と、並びに現在の実態を踏まえること。

ブルーボーイ事件」がなかったら「特例法」はどうなっていたでしょうか。あったとしても「医師の権利」を守る必要はなくなりますから、現在とは全く異なるものになったはずです。「性同一性障害」の医療過程の実態は、医師と当事者の個別の関係性に依存するもので、性別違和の真摯性を問うものではなくなりつつあります。これは多様なトランスジェンダーたちが精神科に訪れ、医師との交流を果たしたことで得た「社会資源」です。「制度」の外郭が変わることはないわけですが、「制度の内実が制度に従うことで変わる」ことも起こるのです。

④歴史に身を投じた者たちに敬意を払って下さい。リスペクトのない批判などあり得ません。

「特例法」は確かに不備の多い法律で、それだけに誰でも参加出来ます。しかし、その歴史の中で一体どれほどの人たちが苦痛に耐え、どれだけの専門家が資料を読み上げたか、尽力を想像して下さい。批判はそれを踏まえた上ですべきです。「特例法」批判はTwitterデビューしたMtFにも、ピヨピヨの院生にでも出来るほどにテンプレ化しています。それらしいことを書いてポストすればいいのです。誰でもたった一夜でセクシュアリティの研究家です。でもあなたは「社会資源」を自分のために盗んでないですか。何のためにそれが必要でしょうか。

⑤本当に「悪いもの」を批判して下さい。悪くもないものを悪く見えるからと「悪」と決めつけないで下さい。

「特例法」は「性適合手術を義務付けている」(適法化のためです)のであって、トランスジェンダーに「強制不妊手術を行っている」のではありません。日本の政府は「不妊手術」を強制したのではなく、結果的には「性転換手術」を禁止したのです。増えすぎたトランスジェンダーを政府が捕まえて強制的な性転換手術をしているのでも、ゲイに対する拷問でもありません(ある種の人々にはそう見えている可能性が否定出来ないのですが)。もし「身体介入」自体が悪いのだとしたら、ホルモン療法を初め、あらゆる身体具備へのアクセスが批判されます。悪いのは「性適合手術」でも、「医療ケア」を望むことでもなく、トランスジェンダーでも、医師でもないはずです。

「特例法の撤廃」と言っても、「いますぐ」出来るほど、容易いことには到底思えません。なぜならば、この国でそれを行うことは「戸籍制度の撤廃」と等しい意味を持つからです。「特例法」が解除されたら、おそらく、民法上大変な矛盾を日本の社会は抱えることになります。なにしろ、身体的にも見かけ上も、十全な男女と言える者たちが自在に性別を変え、親となり子を持つ世界が到来するわけですから。この時、生じ得る混乱は親族規定を初め、労働、社会保障、設備・施設、戸籍・身分をはじめとする民事登録、医療、刑事規定など、およそ性別規定が含まれる広範囲の法令分野に混乱が及びます。混乱はそれだけに留まりません。倫理観や人々の価値観の変更も要求されます。これ想像出来ます?単純に「並みの事態ではない」と考えられます。
土井氏は記事において『2020年、東京オリンピックパラリンピックに向けて日本政府が進もうとしている「LGBTの人権を擁護する国」というイメージにも反する』『いますぐにこの法律を改正することが必要なのです』と結んでいますが、もし出来もしないと判っていて述べているのだとしたら無責任ではないでしょうか。

「特例法」の解体は、「戸籍制度の解体」とほとんど「同義」です。「特例法」を更新すれば「戸籍制度」の問題に確実に接近します。果たして、この国でそれが可能なのか?ということです。それくらい難しい問題です。

目先の「特例法」の問題点は、男女の規範化とか、性同一性障害のモデルとか、性適合手術が義務付けられているとか、早々に誰でも思いつくわけですが、いくつかは所詮制度の内部の問題です。トランスジェンダーの多様性により形骸化してしまうからです。現に「性同一性障害者のモデル」など形骸化しているのではないでしょうか。最大の問題は、「特例法」が依然として「オペを望むトランスジェンダーは制度に守られ、望まないトランスジェンダーは守られていない」という状況を作り出していることにあります。これこそがまさに「制度の問題」です。不公平であり、不満でしょう。勢いオペを望まないトランスジェンダーが、それを望み日常を手に入れるトランスジェンダーに敵意をむき出しにしても、責められません。人情として当然の道理ですから。
こうした状況を鑑みるに「特例法」を変えて行くことは、「特例法」の恩恵を受け、平穏な毎日を手に入れたトランスジェンダーの責任ですし、また立法化に関わった人たちの重責だと思います。

だからこそ「特例法」の変化には、オペを望むトランスジェンダーや、医療ケア、立法に関与した専門家たちと、オペを望まないトランスジェンダー、医療的身体介入に反対する専門家たちが共に手を取り合って行うのが望ましい姿だと提言します。というか思想的に言って「そうでなければ正しくない」でしょう。
杜撰な批判でオペを望むトランスジェンダーや、立法化に携わった人々が悪者にされると、この人たちが「特例法」の議論に参加出来なくなってしまいます。
これは「特例法」の問題より、別の意味で「もっと問題」です。こうした言論を「制度」や「国際性」、「人道」「正義」「セクシュアリティの多様」の名の元に遂行していいものでしょうか。私は疑問を感じます。
それで専門家の皆様にはお願いがあります。「特例法」の議論から、オペを望むトランスジェンダーや、立法化に関与した人たちを排除しないようにして欲しいのです。
立法に関わった人々を悪者にしなくても「特例法」の批判は可能なはずだし、「特例法」を変えて行くことは可能なはずです。

(了)